20130505

どっどどどどうどどどうどどどどう

散文の散文

 ひと月くらい前に「お手本のような会話をしたなあ」と思ったのだけど、その後なにがあったというわけでもないが色々と考えていて、最近になって「思ったよりずっとわたしはわたしのせいで何か悪いことが起きたのだと思っているのかもしれないな」ということを思った。思った以上の範囲で、というのもあるし、思った以上に自分の問題として、というのもあり、ちょっとびっくりしている。落ち着かないな、と思う。

 子どものころのわたしが扱いにくいタイプの子どもだったから、つらい思いをしたのかもしれないな、いやなことも言われたな。というような、わたしのなかに理由が見つかる何かによってつらい思いをした、納得のいくストーリーを作ろうとしていたのかもしれない。

 

「突然道で他人から殴られたがもっと目立たない格好をしていたらよかった(※これはただの例です)」と言う話を他人にされたら、「殴るほうがおかしいのであってきみの服装の話ではないよ(※例にあげた状況のときにきみの服装に問題があるとかないとかはまったく関係がないよ)」と思う

散文 - 20130505

 

 という文章を書いていたのだけど、他人の理由はあまりわたしのつらさに関わりがない(例え話として、人が何か理由があってわたしを殴ったとしてわたしに理由を考える必要はない)、ということを、わたしがわたしのこととしては納得しきれていなかった、頭ではとっくに理解していることが、追いついていない部分がわたしにはあって、思考のくせのようになっているのかもしれない。

 専門用語を調べるのを避けたのでふんわりしているが、問題の外在化みたいな話が関わっているような気がするし、そのへんちょっとふんわりしているが、書きながら調べるのはしんどかったので、メモをして残します。重ねて不勉強の致すところです。

 

 過去の話は過去の話としても、いまのわたしが「人がいない状況でもなんとなく人に責められることを身構えている、なにかわたしに理由があってひどいことが起きるのだ、ということを他人がわたしに言い出しそうな気がする(そしてこのとき、そのようなことはわたしには関係ないので、とも思う)」というのは、思考の流れのくせとして気に留めておいたほうがいいと思う。そうしたことで、なんだかいつもちょっと疲れている。

 気分で言うことが変わる、人に怒鳴りつける、機嫌を取らせようとする、不機嫌によって相手を動かそうとする、みたいな同居の家族と暮らしていたので、いまだに実家にいると落ち着かない、というのも自覚のひとつとしてあってもいいのかもしれない。このことを思うと、ズルズルと気が落ち込むのであまり考えないようにしているところがある。どうしようもないことがどうしようもないまま続いていく、というイメージになってしまう。同居の家族というやんわりとした言い方をしたが、もうそこそこ長く離れて暮らしている親族だし、実家にはもういない。そんなに、たとえば、人を殺したりするほど悪い人ではないのだし、という庇い立ての気持ちがわくのはわくが、正直なところ嫌いなのであまり思い出したくないんだよな。

 なんとなく理由なく(理由なくというところまで込みである気がする)責められているような気がして、それがなんとなくわたしのせいなんじゃないかっていう、諦めというか、前提みたいなところを、なんかちょっと前提にしていることがつらいので、嫌だな〜と思っている。そのような、めんどうくさいところがわたしにはある。そこまでわたしに望まれても知らんけど、という気持ちもある。

 

 このひと月、そこそこ本を開いたが、あんまり読み終わっていない。

おとなは子どもにテロをどう伝えればよいのか https://amzn.asia/d/9AVOzM5

 という本を読んでいて、なんというか「聡明で繊細な娘に説明する親」という対談方式にちょっと躓いている。読み終わりたい気持ちはある。(最近またはてなブログを書きはじめたということもあり、リンクの挿入などのやりかたが全然わからない。もともとあんまりわからないままやっていたんだと思う)

 これはハードカバーなんだけれども、新書がここ数年めちゃくちゃ好きになったので、読みたいものが結構ある。本を積んでいるが、図書館には月に何回か行く。

 

 じんわりと具合が悪い人生だなと思っていたが、つらいことを思い出して具合が悪くなることは少なくなった気がするし、それはちょっとよいことなのかもしれない。あんまり、そういう過程がない人間もいるのかもしれないなと思うと、何周も遅れてよたよたと歩いている気持ちになったりもする。

 お茶が好きなので、ご厚意で友人知人からたくさんいただくが、ムレスナティーに「パッケージがくどいんだけどどうしても美味しいので」と前置きしてくれる人が多いので面白い。ムレスナティーはとても美味しい。パッケージはちょっと、カラフルで文字がたくさんあり、インパクトがあるけれど……。

散文

 とくに今何かあるわけではない過去のことを他人に話し、子どものころのわたしが怖い思いをしたという内容のことだったのだが、「やばい人に出会った話だねえ」「ずいぶん怖かっただろうねえ」「自分がああだったからこうだったということにすると自分が楽になるのでよくしてしまうよねえ」「ただ一般化するのはよくないねえ」という、何かのお手本のような会話をしたので、「お手本のような会話だな」と思って感動した。頭ではわかっているし他人もそういうだろうなあ。
 ただ、ああだったからこうだったのでは、と理屈をつけようとする心の動きが自分にあるということに、あらためて気がついてよかった。なんとなくしんどい、というもののなかに、「自分がああしていたら、自分がこうしていたらよかったのでは?」という心の動きがあり、それが日々の負担になっているような気がする。
 とはいえ、対処でどうにかなったと思うのは傲慢というか、ズレなのはそうだろうし、「突然道で他人から殴られたがもっと目立たない格好をしていたらよかった(※これはただの例です)」と言う話を他人にされたら、「殴るほうがおかしいのであってきみの服装の話ではないよ(※例にあげた状況のときにきみの服装に問題があるとかないとかはまったく関係がないよ)」と思う他ないし、道をすれちがう人は多くが他人を突然殴ったりはしないし、かといって急に殴りかかるような人が見分けもつかず自分に責任もなく人生に現れるのは怖いので、理由をどこかに探したりやみくもに他人が怖くなったりするだろうな。これは例をあげての話であり、わたしが道で他人に殴られた話をしているわけではありません、念のため。


 元気がない日が多くぐったりしているが、コーヒーを飲んだり過ごしている。コーヒーが好きなんだが、体質的に胃腸があまり受け付けないので、気をつけて飲んでいる。おいしい。じわじわと痩せたが、筋肉をつけようという元気まではない。
 読書週間があるほうだと思うがよく読む人ほどは読んでいないとか、少量の書き物をしているが発表できるほどの量がないとか、中途半端なことを子どもの頃からずっとやっていて、ちょっと負い目というか、言うほどのことはなにもないという気持ちがある。べつに趣味をとがめられる必要はないのだけど、恥じらい。

 人が好きなものの話しを聞くのが好きなので、マクドナルドで喋っているアーティストが最近オススメされた超特急だってことに気が付く。

 くたくたで芯のないブロッコリーを食べることにハマっている。大袋の、大型安売りスーパーの冷凍ブロッコリーを、チンして混ぜてチンしただけの、とにかく芯のないフニャフニャのブロッコリーに塩とサラダ油をかけて食べる。ふよふよで柔らかいことが大事なので熱々である必要はない。ストレス肥満らしい肉が緩やかに落ちているが、あんまり頑張ることができない。

 ……という旨のはてなブログを一回書きかけたのだけど、ブラウザとともに消してしまっていて、下書きを追記して投稿する気はあったわたしはちょっと探した。探したけれど、ないものはないので、こんなことを書いたはずだなあ、と思ってまた書いた。

 書きかけている間にブロッコリーより千切りキャベツにブームが移り、加熱してへたへたで柔らかいキャベツを食べている。400mlくらいの水と顆粒コンソメでスープにし朝晩で食べたりもしている。お粥くらいの感覚がある。

 

 コロナ禍で、というと個人的な事情がある程度抽象化されて、社会に溶け込むような気もするが、それとは別に個人的なとしか言いようがない問題が心中にある。ここ数年で祖父母がスルスルと亡くなって、忙しさが減ったんだと思うがさみしい。もしかしたら人より病院に付き添う機会が多い人生なのかもしれないし、自分もよく病院にかかる。病院にかからない人は本当にかからないらしくてびっくりしたことがある。解熱剤は頓服だけど、頓服は頓服という薬ではなく、解熱剤にも名前があって頓服というのはこのときは熱があるときに飲んでくださいという意味なんだよ、ざっくり言えばだけど、というような会話をコロナ禍の最中に電話でした。

 祖父母は複数人いて、どうもわたしが祖父母だと思っていた人のなかに祖父母のカテゴリではないかもしれない人がいるようだな、ということには大人なのでさすがに気がついており、それは祖父母世代の離婚と再婚の関係のようなのだが、遠縁以上の付き合いのある祖父母というのはたぶんもう全員亡くなったんじゃないか。たぶん。

 いちばん付き合いが長く世話になった認識のある祖父は、結構長いこと特定の内臓を患っていたので、一時期は総合病院にも一緒に行った。この祖父は、なんかこう、頑固でたいへん人に気を遣い細やかな人だったので、親戚に「そんなに気にしなくていいのに!」とか「頑固なんだから!」なんてことを言われがちな人だったが、人のいいエピソードに事欠かなく、三食あったかいお茶を飲んで揚げ物が好きで、今喋ることができたらいいのになあ、と思う。するすると弱っていったから、あんまりお喋りができない時期があり、わたしも喋る内容があまりなかった。もっと喋れたらよかったな、と思うし、今だったら言えたこともあったかもしれないが、祖父も祖父でそれどころではない時期がありとにかく頑張って生きていたので、そのときにわたしがわたしの話したいことを喋ることができなくても仕方がなく、元気なときにこういうことを喋りたかったなあ、だけちょっと残った。また世話になった祖母はニコニコと穏やかにしていると思ったらすうっとなくなったので、「大往生だなあ」という気持ちのほうが強い。

 人が死ぬとふつうにさみしく、大変なことがあったのはそうだがふつうにさみしい。たぶん人によって状況によってさみしさが違うんだと思うし、祖父のほうがなんとなくやり残した気持ちが強い。喋ることがもっとあったのになあ、という気持ちがある。ふつうにさみしく思っているうちに、気がついたら年月が結構経っており、ぜんぜん何もできてないのになあ、という焦りがあったり、具合を悪くしたりしていた。具合の悪さというものは、人生のなかでよく出てくるのだけど、ことさらストレスと言われた。抽象的なことを言われてもなあ、という気持ちになったり、そんな言葉にちょっとイライラしたりして過ごしている。ぜんぜん、自分のことで手一杯に。

SNSが読めなくなった

表題から入ると、SNSが読めなくなった。具体的なしぼりかたをすると、Twitterが読めなくなった。

 

スマホアプリのなかでは一番使用頻度が高いと思っていたので、びっくりしている。わたしのアプリのなかでは、世間で話題のスマホ依存の原因の筆頭である。ちなみに次点はGoogleChromeだと思う。(余談につきまとめるが、慣れているという一点で使い心地がいい。PCのSafariをアクティブにするとしたら、iPhoneでもSafariを使ったほうが機能的に楽そうではある)

 

Twitterがしんどいな、という時期がないわけではなかった。ほぼサービス開始初期から使っているし、交流する相手が徐々に変わったり、サービス自体が変化していったり、帰宅して何かしながらぼんやりPCで眺めるものからさまざまな場所でスマホから眺めるものになった。利用者が増えたということもある。ひと言にすれば、環境は変わっていく。そのあたりの時期に、自分の環境も変わる。使いかたがズレてくる。落ち着かない。そういう波のなかで消えた交流もある。

 

なんだかそういう、「あーむりむり」という感じなのかと言われるとよくわからない。しんどさ、つらさ。過去のそういうものはもうちょっとわかりやすくネガティブなキズやトゲをイメージさせる。

 

今回は、「わたしは誰に向かってしゃべっているんだ?」という気持ちだった。誰に向かって。

 

ある問題についてどうしても喋りたくなったとき、Twitter(ないしSNS)のコミュニティ(輪)のなかで適さないなと思うことはある。このネットでも、ネットなのに、感じられる「枠」みたいなもののことがなんとなく気になって、もうずいぶん昔「天気の写真そして日記」みたいな記事をFacebookにあげたことがある。わたしですら感じる、強い場違い感がある。コミュニケーションも広がりもない、朝の空、気分、コーヒー。「なんでそういう意味わからんことするかなあ」という点で一部の友人には受けた。場には場にあった内容を話したほうが楽しい、という話が日本的な文化なのかはわからないし、飲み会や集団のノリが苦手だけれども、場にあったものを場で提供するのは楽しい。紅茶がすきな相手に、おいしい紅茶を出そうと考えるのは自然だと思う。その場でコーヒーを出してはいけないわけではないが、わたしが気になる紅茶のメーカーがあり相手が紅茶がすきであると知っていたら、ポッドから提供するのはきっと紅茶だと思う。

 

わたしは、誰に向かって喋っているんだろう。

 

もちろん、Twitterに「知らない人間しかいない」という感覚はない。なんとなく知っている、きっと相手もなんとなく知っている、あなたの話を面白く聴いている、ときどき会話を交えたりする。

 

でも、ここはインターネットで、表現が適切かはわからないが、広く世界に言葉が流れている。閉じていないと思っているし、Twitterもいわゆる鍵をかけたアカウントにする気があまりない。誰でも見られる場所である、という前提を忘れたくないとぼんやりと思っている。140字はあまりに短い。「なにを言っているかわからないな」と思う意見がひとりごととしてリツイートされてきたとき、わたしはその文脈がわからない。質問することも(質問自体が悪ではないとわかっていても不要な関係を作りたくない意味もあって)できない。わたしが誰かに届けたい文章を書いているわけではないが、届く先がわからない。イメージがない。自分の言葉がポカンと宙に浮いているような、おさまりの悪さを感じる。ときどきそれが会話につながったとして、これは、この言葉はそもそもなんなんだろう。

 

なにかよくわからなくなって、急に読めなくなってしまった。おさまりがわるい。心が弱っているのかもしれない。わたしはむかし、ショートメッセージが苦手だったなと思い返す。対面にいないひと、声の聞こえないひとの言葉が苦手で、PCのメールと文通は大丈夫だった。(会話という意味での)言葉と文章っていうものが、もしかしたらわたしのなかで別れていて、Twitterというものがフワフワしているのかもしれない。

 

考えすぎる、というのはニュアンスが悪癖を指すものだけれど、考えすぎる。疲れていると、なにもかも言語化しようとする。目の前にない他人のことまで考えてしまう。なにかこの不調が去ったら、あらゆることをほがらかに語り出すのかもしれない。とてもおしゃべりがしたかったので、ブログを書いた。

 

ひとまずシメ

ハードルサゲ

なにごとも「初手のハードル」をすごく下げる、具体的にがんばる必要がないほどまで下げる、を念頭につけておきたいので、うすぼんやりつぶやいていたブログの再開を寝る前10分くらいで終えておきたいと思う。つまり、カシラに置いておきたいのは、わたしはとても眠いということです。

 

生活が、いまだ残る過去の記事からがらりと変わったわけではないと思う。なにを書いたのかうすぼんやりとしており、確認をおこたっているけれど、たぶん次回には振り返ってから書くと思う。

 

具体的な忙しさとは異なるところで、頭を動かすことに疲労が薄くなってきたので、よい傾向なのだと思う。ものを作ったり、ひたすらものを書いたり、「薄いコミュニティ」を求めたりしている。結婚がどうと言い切れるものでもなく、なにか、習いごとでもして、薄い繋がりが欲しいな、という気持ちのことです。

 

 

数年、よくわからないまま目の前のことをやっつけてきて、いろんなことを考えた。「わたしは考えることがすきなんだな」と思ったし、「考えたことを言える場所がない」という気持ちが薄く淡くぼんやりと不満、そう不満なんだと思う。解消の方法として、「数年おろそかにしていた勉強と向き合う」とか、「考えごとをインターネットに書くことは悪いこととも言えないのではないか」などがある。なにを考えているのか、なにを感じたのか、そういう日記的なものを含めて、紙に書く習慣ができた。それが一般的な…にあてはまるかはタイミングによるので、とにかく言語化がすきなんだと思う。

 

いまは眠いし、いつもなにかを模索している。

おやすみ。善い日に。

そんな感じで。

きりとられた「今」って、だんだんと古びていくから手触りがやさしい。生々しい傷にかさぶたができるように、重ねた記憶が層になる。

 

 

過去の記事を読み返して、え、夏なんだ、とか、すでにへばっている、などと思うなどしました。三ヶ月くらい経っているんですけど、いまひとつ主婦業から脱却はできていなくて、ぼちぼちとへばってもおります。

 

あれからこのかた、いまだ実家暮らしのわたしです。家事負担うんぬんというか、もう介護負担に移行しているというか、あれからもいくつか家人の入院を経たのですが、祖父母も年が年なのでまあそういうことですよね。身体自体も弱っているので行動制限もたいへんなんですが、アルツハイマーの進行具合も気になっているところです。「なにをするかわからない」ということがいちばん怖くて、わたしの外出がなかなかままならなくなってきています。家にこもっていること自体が閉塞感なのですが、配慮が必要なもろもろだとか、普段の家事のことだとか、そういうことが重なるといやなことにしか目が向かなくなってきてしんどいですね。

人の言葉をすべて真に受けるのは危険だということはもちろん踏まえつつ、最近インターネットで見たのが「気晴らしとなることが、別のものとしてよっつあれば、こころは健康でいられる。それは、誰かに愚痴を言うことなどのちいさなことでかまわない」という言葉なのですが、なるほどなあとも思います。ひとつに限ってしまうと、それが出来ない状況にあるとつらいですもんね。わたしにとっては、なんだろう。

 

実家を飛び出せない理由でもあるのですが、ここひとつきほどで犬を飼いました。元の飼い主さんが手放したコで、柴犬の女の子です。年齢はだいたい2歳くらいかな。もう成犬なのですが、なんだか不安定でたいへんでした。獣医さん曰くの「日本犬を厳しく育てる人はいる」ということなのかもしれないのですが、ピクリとも鳴かずただただ甘えたで張り付いてばかり、確かに元の生育環境に不安があって、(それとともに、殺処分がすでに現実として近くあったようで、)なかば強引に連れて帰ってきたコなので、ざっくりと言えば「元の住処で怖いことがあったらしい」ということしかわからないです。ようやく鳴くようになり、家にも馴染んだようで、いまは凛々しく吠えています。

まあそれはそれでたいへんだったのですが、約二週間前の土曜日ふっと小屋を見ると、「おや」と二度見をして、いやはや、我が子のごとくかわいがっているムスメ、名前を麦と名付けたのですが、簡単に言えば前の家にいた時点で妊娠していたようなんですよね。子犬がコロッと麦の乳を吸っていて、朝からビックリでした。一匹かな、と思っていたら目を離しているうちにコロコロっと、麦と三匹の子犬が家にいます。子犬はただひたすらにかわいい。完全なハプニングだったんですけど、まあとにかくかわいい。麦の子犬時代を知らないので、子犬の姿を見られるというのはうれしくもあります。ただ、もうすこし育ったら里親さんを探さないといけないので、すこし不安です。やはり四匹全員は家で育てられないので、二匹くらいなら考えられるかなとは思いつつ、どういうことになっても全員しあわせになって貰わないとならないなーと思います。

 

「しんどくなる」ことの理由として、ちゃんとしなきゃ、完璧にしなきゃ、という思考があるみたいで、もうすこし気軽に生きたいなと思ったりします。家事に関してはもうキリがないし、やることも多い元気にも限りがある、ほどほどくらいでやっています。今日はシーツと布団を干したのではなまる。勉強は正直ぜんぜん手をつけられていなくて、でもあきらめる気はやはりなくて、どうやってやっていくかは今後の課題です。「存在することが得意です」ってくらい、自己肯定で生きていきたいな。自分にはなまる。

 

そういうつらさやしんどさも過去になって、やさしい手触りになればいい。

そんな感じ。

 

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【追記】子犬、よく動くのでよく小屋から落ちている。