20130505

どっどどどどうどどどうどどどどう

散文

 とくに今何かあるわけではない過去のことを他人に話し、子どものころのわたしが怖い思いをしたという内容のことだったのだが、「やばい人に出会った話だねえ」「ずいぶん怖かっただろうねえ」「自分がああだったからこうだったということにすると自分が楽になるのでよくしてしまうよねえ」「ただ一般化するのはよくないねえ」という、何かのお手本のような会話をしたので、「お手本のような会話だな」と思って感動した。頭ではわかっているし他人もそういうだろうなあ。
 ただ、ああだったからこうだったのでは、と理屈をつけようとする心の動きが自分にあるということに、あらためて気がついてよかった。なんとなくしんどい、というもののなかに、「自分がああしていたら、自分がこうしていたらよかったのでは?」という心の動きがあり、それが日々の負担になっているような気がする。
 とはいえ、対処でどうにかなったと思うのは傲慢というか、ズレなのはそうだろうし、「突然道で他人から殴られたがもっと目立たない格好をしていたらよかった(※これはただの例です)」と言う話を他人にされたら、「殴るほうがおかしいのであってきみの服装の話ではないよ(※例にあげた状況のときにきみの服装に問題があるとかないとかはまったく関係がないよ)」と思う他ないし、道をすれちがう人は多くが他人を突然殴ったりはしないし、かといって急に殴りかかるような人が見分けもつかず自分に責任もなく人生に現れるのは怖いので、理由をどこかに探したりやみくもに他人が怖くなったりするだろうな。これは例をあげての話であり、わたしが道で他人に殴られた話をしているわけではありません、念のため。


 元気がない日が多くぐったりしているが、コーヒーを飲んだり過ごしている。コーヒーが好きなんだが、体質的に胃腸があまり受け付けないので、気をつけて飲んでいる。おいしい。じわじわと痩せたが、筋肉をつけようという元気まではない。
 読書週間があるほうだと思うがよく読む人ほどは読んでいないとか、少量の書き物をしているが発表できるほどの量がないとか、中途半端なことを子どもの頃からずっとやっていて、ちょっと負い目というか、言うほどのことはなにもないという気持ちがある。べつに趣味をとがめられる必要はないのだけど、恥じらい。

 人が好きなものの話しを聞くのが好きなので、マクドナルドで喋っているアーティストが最近オススメされた超特急だってことに気が付く。