20130505

どっどどどどうどどどうどどどどう

更新すぐ止まる2023

 更新は意識しないとすぐ止まるし、日中用事がないとパタリと寝てしまう。今日はiPhoneにアプリを入れたので、新年までおおよそ三時間だなあと思いながらフリック入力をしている。わたしはわたしのMacBookのことをほんとうに好きなのだけど、USB端子の件など昔より不便になったと感じることが多いため、改善していきたいなとも思う。

 振り返って「なにもなさずに年を終えたな」という悔いがわいているのだが、なんとか生きて年を越せそうなので、それは真面目に良かったんだと思う。死にそうな持病があるわけではないが、人間何が起こるかわからず、今も戦時下にある国があり、多くの命が危険にさらされていて、わたしはいまのところなんとか、なんとか生きているな、という感じがある。なんとかなったのかと言われたらなんにもなっておらず、実家なので細々生きているがそれもなんとも言い難いし、もっとなんとかなりたいという気持ちがあるが、いっぱいいっぱいになっている。祖父が亡くなったあたり、おそらくかなりだめになっていたのか、事情を知らない他人に「なぜもっとやれないのか?」と言われて、泣いたことなどを思い出したりしている。

 ひとつひとつわかったと思うことがあれば、あまり考えなくていいことがわかったと流したりなどしていて、これでも多くのことが処理されたように思う。冬ということもあるのか、ふとした悲しみを思い出したり、それを「傷だ」と呼んでいいことに気がついたりしている。「そのようなことで傷つくのは弱いからだ」と責める声が一番の傷なのだと自覚が強くなっている。別に人は傷ついていいし、傷ついたからといって途方もない何か、名誉のような何かが毀損されるわけではない。ささくれに血が滲んだら傷の手当てをしてこれからハンドクリームをよく塗って過ごそう、みたいなことなのだと思う。傷を愛せるかはともかくとして。楽になったことと言えばそうなのだと思うし、泣いてしまうようなことに気がつかないようにしている節もある。

 総括すると、荷解きをするような一年だったのかもしれない。立ち止まっていることは不安材料なのでなんとかしたいと思うが、きっとずっと弱っていた。弱っていてもできることをやっていこうと思う。安心できる場所が欲しいと思うことがあるが、安心は日々の積み重ねや経験であって、飛び跳ねるように得られるものではない。まとめとして以上に不穏なことは書かないで置こうと思うが、「安心できる場所がないまま育った人はたくさんいて、その人が安心できるようになれないわけではない」という旨のことを今年は聞いて、心に留めて置こうとは思った。

 成長としては好き嫌いがさくさくわけられるようになった気もする。相変わらず鈍臭く要領は悪い。強みがわからないまま大人になって、大人といえる年のまま困惑している。おしゃべりが苦手で、それは相手の意図を汲もうとしすぎるからで、あまり考えなくていいどうでもいい会話や、自分の意見や感想を言うのは気が楽になる。人の機嫌の動きを感じると疲れる。人の話を聞くのもまとめるのも苦手ではない。機嫌の悪い、嫌な流れを感じるとほんのり頭痛を感じる。フラットに戻そうとする、取り成そうとする癖があると気がついたら、ややマシになった。機嫌の悪い人は機嫌の悪いままでべつにいい、良くも悪くも。

 

 

 年のまとめに書いたので、いっそう日記ぽい記事になった。人の目の意識と、自分の意図と、みたいなことも考えたな、なんてことを思いながら終わりにする。良いお年を。