20130505

どっどどどどうどどどうどどどどう

 くたくたで芯のないブロッコリーを食べることにハマっている。大袋の、大型安売りスーパーの冷凍ブロッコリーを、チンして混ぜてチンしただけの、とにかく芯のないフニャフニャのブロッコリーに塩とサラダ油をかけて食べる。ふよふよで柔らかいことが大事なので熱々である必要はない。ストレス肥満らしい肉が緩やかに落ちているが、あんまり頑張ることができない。

 ……という旨のはてなブログを一回書きかけたのだけど、ブラウザとともに消してしまっていて、下書きを追記して投稿する気はあったわたしはちょっと探した。探したけれど、ないものはないので、こんなことを書いたはずだなあ、と思ってまた書いた。

 書きかけている間にブロッコリーより千切りキャベツにブームが移り、加熱してへたへたで柔らかいキャベツを食べている。400mlくらいの水と顆粒コンソメでスープにし朝晩で食べたりもしている。お粥くらいの感覚がある。

 

 コロナ禍で、というと個人的な事情がある程度抽象化されて、社会に溶け込むような気もするが、それとは別に個人的なとしか言いようがない問題が心中にある。ここ数年で祖父母がスルスルと亡くなって、忙しさが減ったんだと思うがさみしい。もしかしたら人より病院に付き添う機会が多い人生なのかもしれないし、自分もよく病院にかかる。病院にかからない人は本当にかからないらしくてびっくりしたことがある。解熱剤は頓服だけど、頓服は頓服という薬ではなく、解熱剤にも名前があって頓服というのはこのときは熱があるときに飲んでくださいという意味なんだよ、ざっくり言えばだけど、というような会話をコロナ禍の最中に電話でした。

 祖父母は複数人いて、どうもわたしが祖父母だと思っていた人のなかに祖父母のカテゴリではないかもしれない人がいるようだな、ということには大人なのでさすがに気がついており、それは祖父母世代の離婚と再婚の関係のようなのだが、遠縁以上の付き合いのある祖父母というのはたぶんもう全員亡くなったんじゃないか。たぶん。

 いちばん付き合いが長く世話になった認識のある祖父は、結構長いこと特定の内臓を患っていたので、一時期は総合病院にも一緒に行った。この祖父は、なんかこう、頑固でたいへん人に気を遣い細やかな人だったので、親戚に「そんなに気にしなくていいのに!」とか「頑固なんだから!」なんてことを言われがちな人だったが、人のいいエピソードに事欠かなく、三食あったかいお茶を飲んで揚げ物が好きで、今喋ることができたらいいのになあ、と思う。するすると弱っていったから、あんまりお喋りができない時期があり、わたしも喋る内容があまりなかった。もっと喋れたらよかったな、と思うし、今だったら言えたこともあったかもしれないが、祖父も祖父でそれどころではない時期がありとにかく頑張って生きていたので、そのときにわたしがわたしの話したいことを喋ることができなくても仕方がなく、元気なときにこういうことを喋りたかったなあ、だけちょっと残った。また世話になった祖母はニコニコと穏やかにしていると思ったらすうっとなくなったので、「大往生だなあ」という気持ちのほうが強い。

 人が死ぬとふつうにさみしく、大変なことがあったのはそうだがふつうにさみしい。たぶん人によって状況によってさみしさが違うんだと思うし、祖父のほうがなんとなくやり残した気持ちが強い。喋ることがもっとあったのになあ、という気持ちがある。ふつうにさみしく思っているうちに、気がついたら年月が結構経っており、ぜんぜん何もできてないのになあ、という焦りがあったり、具合を悪くしたりしていた。具合の悪さというものは、人生のなかでよく出てくるのだけど、ことさらストレスと言われた。抽象的なことを言われてもなあ、という気持ちになったり、そんな言葉にちょっとイライラしたりして過ごしている。ぜんぜん、自分のことで手一杯に。