20130505

どっどどどどうどどどうどどどどう

わりといつも悲しい話をする

 なんだかいろんなことが悲しかったので、

買ったエッセイを読み終わった。精神科医で教授でハーバード大学に留学して博士号を持っていて「オンナ」で、エラソーなプロフィールだな〜みたいなことを自分でも思うというようなことをおっしゃっていて、面白い。「オンナ」で、とつけたことも、「エラソー」と思われる一要素が「オンナ」で、と感じられる場面もあったのかもしれないし、ふんわりとした客観で付け足す要素として「オンナ」で、というのはまあそうだろうな〜と思ってしまって、イヤだな。

 傷を愛せるか、というのが、「傷の存在を認めて」「ケアをし」「なかったことにしないでおけるか」という話なんだと、言葉がやや異なるがそのようなことを、たぶん言っていて、「傷を認める」という段階は案外難しいんだな、ということをわたしの最近のことを思い出して、思っている。

 この本が、医者としての顔だけで書かれていたら読めなかったかもしれないけれど、そういうわけではなかったので、楽しく読みました。(ただ、死についての考えが途中含まれてきて、そういう面で弱ってしまうときには読まないほうがいいようにも思いました)

 

 ここ数年、「ああいうことをされるのがイヤだったな(それをガマンしていたな)」というところから、何か、自分のソトに言語化できるものがはじまった気がしていて、そのあと「ガマンしているのにどうして」とか「イヤだって言っている(やめて欲しい)のにどうして」が言葉になってきて、そういうことが「わたしが相手にうまく伝えられなかったから」「みんなが平気なことでわたしが過敏にイヤな気持ちになっているだけなのかも?」みたいな自責として、わりと深いところにあることに気がついて、という感じで、「気がついていく」をやっている気がする。

 あと、「イヤだって言っているのにやめて貰えない。こんなことたいしたことないよって言われる。なんなら笑われる。コミュニケーションだよ、とか言われたりする」こととかが、ほんとうにイヤで、これは過去に言われた話ではあるんだけど、今もなんだか「ええ、そんなことで!」と言われることが怖くて、言語化ができないというような、ひっかかりになっているような気もする。

 

 ただもう大人なので、なんとかする方法はあるはずで、そのあたりのこととして、「イヤなことをされてイヤな思いをしたんだなあ」ということを思っている。わたしって、実はけっこうずっと気にしているんだよね、わたしは気にしてたのかあ、まあぼんやりと、そんな気はしていたけど、ひとりでそういうことを考えたり、内側のほうに責める声があるなってことが当たり前になっていると、なかなか難しいよねえ、なんてことを思ったりする。

 なんだか実家にいると落ち着かず、それは過去あんまり安全な場所として機能していなかったってことなんじゃないか、子どもの教育には安全基地って言葉があるよね、というようなことを人と笑って喋ったが、こっちとしては笑い事じゃねえ〜。

 

 「わたしたちは無痛恋愛がしたい」という漫画があり、たまに読むのだけど、

comic-days.com

 

 この回(18話)のなかに「聞くよって顔をした相手に喋って大丈夫だったことがないから上澄のところだけ話そう〜」というところがあり、そこでは止まれずにもっと喋りはじめてしまう、というシーンがあるのだけど、このキャラクターはすごく強く生きようとしている人で、でも、心にひっかかりはずっと持っていて、喋り出してしまったのも気が弱くなっていたからなんだけど、相手はしっかり言葉を受け止めてくれて、いい方向のコミュニケーションになっていて、よかった。

 油断した言葉というのは、相手を選んでいないとか、言いたいことだけで止まれないとか、脆い部分の表出だし、コントロールしていないコミュニケーションで傷つくことはままあるのだけど、「上手くやったから」「上手く人を選んだから」「上手く言葉を選んだから」ではなくて、自分に近い関係の人に単に脆いところを見せて相手にケアされたという、ちょっと危なっかしいコミュニケーションが成功していて、よかったなと思う。

 あと、脆いところをケアされたという体験は得難いことなんだけど、そして、たぶん人間関係ってそういうちょっとしたケアをし合うことができるかどうかってことなんじゃないかと思うんだけど、脆いところを見せないように生きようとするっていうのも、それはそれでいいんだな〜と思えたところがいいな。うずらちゃんは、強くてかわいい。

 自分の弱いところを、ちょっとした疲れとかイヤなことをシェアして、お互いになんとなくケアしあう、たとえば単にいっしょにコーヒー一杯分の時間を共有するとか、積極的な外側に向けた言葉はそのとき必ずしもいらなかったりする、そういう関係っていうのが「ちょうどよさ」だし「(お互いの)ケア」なんじゃないかなと思うところがあって、弱いところを見せなくてもいいときはいいんだろうし、それでやっていけるならそれが間違っているとかではない。ちょうどよいところに自分がいられるならいいんだな、ということを思ってました。

 

 ブロッコリーのくたくたというメニューがサイゼリヤにあって、くたくたの野菜が好きなので再現レシピを見たのだけど、ちょっとにんにくが苦手なので悩んでいる。最近は、塩で炒めてしなしなの千切りキャベツが好き。朝、お腹がめちゃくちゃ空くんだけど、ホルモンバランスというやつのような気がする。

 

 

 読みたかったのでベッドサイドに積むこととしたが、慌てて読んでいる本が複数あるのでしばらく読めない気がする。

 

 それらの本と並行して読みかけている小説はこっちなのだけれど、すでにちょっとしたざわつきが生じているので、一気にいけるかしばらく寝かせるか微妙です。

 

 今回、寝る前にちょっと書いて寝る前にちょっと書いて、をしたら三日くらいかかったな。